晃華学園事件とは国連子どもの権利委員会は、2010年6月に、日本が子どもの権利条約を誠実に履行しているかに関し第3回の審査結果を発出し、その第62項で次のように述べました: 「委員会は,学校において行動面での期待を満たさない児童が,児童相談所に送致されていることを,懸念をもって注目する。…」 我が国の学校が、その意に沿わない児童生徒を排除するため、退学処分の代わりに児童相談所への送致を使うようになっている傾向を、国連はいち早く察知し、日本に対し人権上適切な対応をとるよう勧告したのです。 まさに、これを地で行く事件が、東京都調布市のカトリック系私立学校、晃華学園で起りました。 多動性がみられた一橋大学名誉教授・水岡不二雄氏の息子、水岡伶龍君は、晃華学園小学校2年生の時、担任の高階俊之教諭から、連日頭部に激しい体罰を受けました。校長のシスター石上壽美江も、伶龍君を学校の邪魔者のように、考えていたのです。高階教諭の教室での暴力に対し、父親が抗議を行なったところ、校長のシスター石上壽美江は、逆に、「親の暴力」を捏造し、抗議のあったときだけ「虐待があった」と所沢児童相談所に通告し、2013年5月、当時小学校副校長になったばかりの担任教諭の田島亮一を巻き込んで、親に一言の承諾もなく、児童相談所に伶龍君を送り込んで学校からまんまと排除してしまいました。 シスター石上は「子どもたちは神からあずかった大切な宝物」などと言っていますが、本当に「宝物」なら、こんなゴミのように捨て去ることはできるはずはありません。カトリックの偽善の臭いが、強く漂ってきます。 そこで父親は、学校法人晃華学園、ならびに、当時の小学校長・石上壽美江、現小学校長・田島亮一、体罰を加害した高階俊之元教諭を相手取り、2014年7月に訴訟を起こしました。 このホームページは、すでにあしかけ4年の長期にわたって闘われている、裁判の記録です。 ・晃華学園事件:東京高裁「損害賠償請求等控訴事件」 ・行政訴訟:さいたま地裁「児童養護施設入所処分等取消請求事件」 |
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晃華学園のとった行動に関する、原告父親の訴え被告らは、私には秘密裡に、保護者の同意もしっかりした証拠もなしに長期に渡り児童の人身拘束をする権限をもつ児相と強く結びついて、自らが原告伶龍に加えた体罰やいじめへの対応の懈怠の責任から免れようという、教育機関にあるまじき行動をとりました。 この被告らの行動は、原告伶龍の長期にわたる施設措置とそれに伴う家族破壊を招きました。私は、もう5年近くも、最愛のわが子伶龍と全く会うことができていません。被告石上は、父子間を切り離すという意図を、臆面もなく児相宛書面で自白していますから、この家族の絆の破壊はまさに、被告石上の求めたものだったのです。このような児相の悪用が、いやしくも人間愛を謳うカトリック聖職者のすることでしょうか。神を汚す行為と思わずにはいられません。 原告伶龍はいま、被告らが結びついている児相が措置した児童養護施設において、向精神薬投与、学力低下など、生涯に取り返しのつかない甚大な損害を被りつつあります。被告小学校で学んでいたときには、中学校の数学の問題を解いて、公文で成績上位者として繰り返し表彰されていた伶龍は、いまや、所在も知れない公立中学校で「中の下」の成績に落ちぶれてしまっています。被告田島は、家裁調査官に対し、原告伶龍が「『子どもの保護のところだと学校には来れないんだよね。』と聞いてきたので,外には出てはいけないんじゃないかなと伝えた」、そして陳述書では「施設に入ることになれば,父親に会えなくなるかもしれない」と原告伶龍に言ったことを自白しています。このことからすれば、被告田島は、児相送致が原告伶龍に現在のような帰結をもたらすことについて、事前に十分に知悉しており、それにもかかわらず被告石上と結びついてかかる行動を確信的にとったというべきです。 それゆえ、現在原告伶龍が被っているこれらの甚大な損害は、被告田島の、無知ではなく故意によって引き起こされたものにほかなりません。さらに、被告田島は、原告伶龍の卒業証書の授与や通知表の引き渡し方まで、いちいち児相の指示に従って行動している状態であり、被告田島がその自主性を欠き、児相にしもべのように従属している姿には、驚くほかありません。これが、独立した私立学校の校長なのでしょうか。原告伶龍の生涯をこのように滅茶滅茶にした行為について、被告田島は相応の重い損害賠償に任ずるべきです。 しかも被告田島自身は、原告伶龍を児相送致で抹消した後、被告法人小学校に転職しわずか4年で、ながく同小学校に勤務していた教諭をごぼう抜きにして、杉並区や武蔵野市の公立小学校在任当時にはなれなかった校長に出世したのです。被告法人は、それほどに人材不足だったのでしょうか。本来順当に校長になっていたはずの候補者が、学内にはいなかったのでしょうか。被告法人理事長でもあった被告石上と結びつき、原告伶龍を学校から児相送致で抹消することに成功した論功行賞の臭いを強く感じます。 被告田島はさらに、念願の校長に就任するや否や、その権力を振るって、原告伶龍が在籍していたにも拘わらず教室から伶龍の机を撤去し、原告不二雄の保護者会出席を禁止し、さらなる原告らの排除行動を積極的に敢行しました。この時被告石上は被告法人理事長であり、被告田島はその管理下に置かれていました。被告田島は、被告石上の指示を忠実に実行したと考えざるを得ません。 万一、被告法人のこうした行為が容認されることになれば、被告法人の経営する学校から、今後も、別の児童・生徒が、管理者の同様な意図によって児相に送り込まれて排除される可能性を否定できません。また、我が国全体としてみても、国連子どもの権利委員会が平成22年の日本への最終見解で摘示したような、学校の意に染まない児童生徒を児相送致によって抹消する行為が他の学校でも繰り返され、学校管理者の都合によってそこで学ぶ児童・生徒が児相送致され、その生涯の幸福追求権の蹂躙が繰り返されることになりかねません。 なにより被告らは、私のかけがえない最愛の息子であり、将来の大成に強く期待していた伶龍の一度しかない生涯に、もはや取り返しのつかない損害を与えたのです。被告高階が原告伶龍の頭を繰り返し叩いてコブを作ったことは確かに許せませんが、コブは1週間もすれば治癒します。しかし、被告石上と田島は、それを隠蔽しようとして伶龍を児相に送致し、生涯の最も大切な時期に5年にわたり人身拘束させたことで、伶龍にもはやその一生をかけても元に戻すことができない傷を与えたのです。 この重大な人権蹂躙は、カトリックを教義として標榜する被告法人の、人間愛の教義を信じる世間一般を裏切るようにしてなされました。被告らには、公教育を担うものとして、また聖職者としての資格がないというべきです。 |
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