晃華学園小学校は「家庭との連携」を教育方針として打ち出しています。このことは、ホームページでも大々的に「「ご家庭と学校が協力しながら子どもたちを育てていく」ということが理想的な教育の形だと考えています。そのため、保護者とのコミュニケーションの機会を多く設け、月に1回は参観日や懇談を行っています」などと謳っていることからも明らかです。
▲「家庭との連携」を大々的に宣伝する晃華学園。しかし、この宣伝をまともに信じてはいけない。
これは、伶龍君の父親にも、養育に関し仮に行き届かない点があったとしても、あるいは何か問題を学校が感ずれば、常に連携の手をさしのべてくれる、という信頼感を提供するものでした。キリスト教の精神に支えられた「家庭との連携」という学校公式の教育方針は、晃華学園小学校から家庭への十分なケアと親身の支援がなされるはずだという大きな期待を生みました。そのようなものとして、「家庭との連携」という教育方針は、伶龍君の父親と学校法人晃華学園との間の就学契約の重要な構成部分をなしています。それゆえ、晃華学園側には、この契約に基づいて誠実に伶龍君の家庭に対し、何か起これば相談や助言をし、伶龍君をしっかり育ててゆく信義則上の責務がありました。
百歩譲って、晃華学園小学校が父親に対し「虐待の疑念」を真に抱いたというのでしたら、「家庭との連携」という公式の教育方針に従って、この就学契約に基づいて誠実に父親と話し合い、充分な事実調査を行ない、生活指導や学習指導についての相談や助言を行なうなどの職責を履行して真摯に対応すべきでした。ところが晃華学園は、児相への通告、児相との協議、書証の提出等について、平成23年12月20日以降、すべて伶龍君の家庭には完全に秘密裏にこれを行なったのです。これは、就学契約における信義則をあえて破る欺罔行為です。なぜ晃華学園はそのようなことをしたのでしょうか?
学校体罰問題を隠蔽し、伶龍君を児相に送致して遺棄することと、担任教諭の体罰に抗議する父親への報復の実行が至上の目的だった晃華学園小学校にとって、「家庭との連携」を誠実に履行すれば、父親による「虐待」の事実など実際には無いことがすぐにわかり、伶龍君を学校から遺棄し退学処分と同様の効果をつくり出す企みが失敗に終わって、大変具合が悪いことになります。そこで晃華学園小学校は、就学契約で約束した「家庭との連携」を全く実行しなかったのです。つまり、晃華学園が謳う「家庭との連携」とは、実は児童・生徒集めの方便に過ぎず、都合が悪くなるといつでも、用が済んだチリ紙のように捨て去ってもよいという程度のものでした。
さらに、より根本的には、「家庭との連携」といってもそれは晃華学園小学校が家庭に援助をさしのべる、というものでは全くなかった、という問題があります。伶龍君が晃華学園小学校に入学すると、同じマリア会系列校の札幌光星学園で、マリア会の専制的人事方針に不満を抱いたN修道士により殺害された吉村管区長のきょうだいである当時の吉村校長はきわめて専制的な学校運営をしており、一部の保護者を校長の取り巻きとして囲い込んで学校運営に協力させ、それ以外の保護者には、ひたすら吉村校長の顔色をうかがい、波風をたてないよう、6年間ひっそり過ごさせるという、かつての共産国のような暗く淀んだ学校の雰囲気ができあがっていることに、父親は気づきました。つまり、「家庭との連携」と晃華学園小学校がいうのは、家庭に親身の支援を提供するという意味ではなく、毎月のように保護者会を開催して保護者を学校に呼び出し、上意下達に学校の方針を示し、保護者をこれに従わせるという意味であるに過ぎません。その証拠に、現校長の田島亮一も、校長に就任するやいなや、父親が保護者会に出席することを拒否し、連絡メイルさえ遮断してしまったのです。正規の保護者であるのに保護者会出席を認めないというのは、あからさまな差別的扱いです。
入学の時に期待した、キリスト教の精神に基づく「家庭との連携」という教育方針にのっとって児童一人一人を大切にし、保護者に援助を与え、その特性に応じて伸ばすというのは、全くの虚妄に過ぎませんでした。晃華学園は、この就学契約における信義則をまるでチリ紙のように打ち棄てて、伶龍君の家庭への報復と排除を行なったのです。